ひっそり生きていきたい
晶です。
コメント欄復活をたまに考えますが基本的に書きたいことを書ければいいや精神で書きたいことをよく考えずに書いてるので、そもそもコメント欄を復活させる理由があるのかなぁと思いながらも、たまに悩みます。
だけど、国家試験に落ちたときに嫌がらせや煽りのコメントを沢山貰って本当に辛かったし、辛い思いしてまで嫌がらせを受ける理由はないのかなぁという気持ちもあります。
優しい言葉を投げかけてくれた人達もいましたが。
まあ医者も聖人なわけがなく、色んな人がいるので仕方ないんですけどね。
多分、自分と波長の合わない人の嫌がる姿を見ることを楽しむ人種っていうのは一定数いて、平気で攻撃してくるからそういうのは怖いんですよね。正論で攻撃するのはまず言い返せないし、相手からしたら優越感浸れるからかもしれないけど。
基本的に争いたくないし。討論も嫌いだし。
キレるときにエネルギーの消費が激しいので、平穏で過ごしていたい。
私自身は相手が嫌いなら無視するか縁を切るタイプなので、よくわからないマイナスな関心を寄せられると困惑してしまいます。
まーでも、そのあたりも人と何か感性が違うらしい。そこがまた相手の反発を買うぽい。。
昔は無視するというよりかは反発してたんですよね。
嫌いな子に、一対一で喧嘩を売ったら、相手が友人つれてきたことあって、ハァ?となった小学校時代。
相手が喧嘩売ってきたから、やり返したら先生にチクられて私が何故か怒られた案件とか。
世の中卑怯な人の方が多いと思って、それ以降友達なんか要らない、と闇落ち小学校時代w
よくわからない理由でいじめられ続けて、人の汚さを知った。私の生まれとかね。金持ちってだけでいじめられたり。
金持ち自慢したことないし、お金だって定期が切れたときやバスがこないときなどの緊急用の最低限(1000円)しか持たされてなかったし、それは基本的に使ったらダメだし、お小遣い制度なくてほしい物は我慢してやっと買ってもらってたし。例えば小学校時代に制服で塾いったら私立の自慢してると言われた。学校から塾まで通学に時間(一時間半)かかってるだけだけど?
共働きだから小学校低学年の時はそばの公立の学校の学童いってて、そしたら何故か医者の子供だからといじめられた。公立の小学生がつけてる名札に憧れてたけど、うちの学校にはなくて、「その名札…(いいな)」と言いかけたら、「馬鹿にしてんのか!?」と殴られた。「うちの学校にはないから、いいなって思った」と泣きながら言ったのに信じて貰えなくて上級生数人に囲まれて蹴られて殴られた。そんなに医者の子供が憎いか?思い出しても腹立つな。クソ全員死ね。←
服だって煌びやかなものじゃなくて、ほぼ毎日ジャージだったし。学童では本読んでること多かったし(というか皆遊んでくれなかった)。なのにいじめられた。しまいには上級生に性的ないたずらされて気持ち悪かったし。あーきもい。
割とすぐ学童はやめた。本当は家の傍で遊べる友達が欲しかっただけなのに。学童行くことで色々マイナスになった。
そういうのもあるから、公立の小学校に子供は入れたくないと常々思ってる。
じゃあ代わりに縄跳びで打たれる?勉強できないと家で軟禁で勉強だけどいい?と今思うと思うけどねw表面的なところしか見れないのは子供あるあるだからしゃあないが。
まあ家庭に経済的に問題ないのは今思っても本当に助かってるからひがむのはわかるけどね…お金はすげー大切。でもそれでその人に迷惑かけてないやんけ。生まれながらにしてあるものをひがまれても困るし。逆恨みも程々にしてほしかった。生まれながらのブスが生まれながらの美人をひがむと余計ブスなのは周知だけど、同じこと。私だってもっと頭良く生まれなかったわ。でもそれで相手に嫌がらせ言うことはないし。羨ましいなぁとは思うけどw
勿論医学部でも陰湿なやつちょっとだけあったけど。あれは未だにわからん。なんであんなことされたのか理由謎。単純に嫌われてたのやろう。
医者を目指してる人達は優しい人が多い!と思ってた当時はがっかりした記憶もある。
で、そうこうしていくうちに、そういう人達と関わらないのが一番なんだなーと。
だからコメント欄も消したし、交流そのものを無くしたけど。
嫌いな人の不幸は蜜の味というけど、私も嫌いな人の不幸は嬉しいけど、あえて関わって不幸にしてやろうって気持ちは全然なくて、基本無関心だし。
だからこそいじめてきた人が事故で死んだと聞いたときは、心の中で笑った。でもそれくらい。私の中ではどうでもいい人だから。
確か好きの対義語は嫌いじゃなく無関心と聞いたことも。超わかる。
だからこそ嫌いならほっといてって思うので、何でマウント取って嫌がらせするほど嫌いなのに、ほっといてくれないんだろうって思ってしまいます。
まあ医者は頭が回る人が多いので、正論で相手を叩き潰してやろうみたいな人も一定数いて(そう考えると弁護士向きやな)、よほど日頃のストレスがすごいんやろなとか背景考えることもあるけど、
いやー
その労力無駄やん。。と思わずにはいられない。
言葉や精神の攻撃力高めなのは頭のいい人達あるあるなのかなぁ。
そういえば手塚治虫の『三つ目がとおる』という作品で面白い!と思ったのは、『人間の脳みそをところてんにしてしまえば戦争なんかなくなる』と。
真理過ぎて確かに…と思いました。
私は目立ちたくないし、有名にもなりたくないし、静かにひっそりやりたいことをやって、書きたいことを書いて、可能な範囲で人を助けて、そうやって生きていきたい。
閲覧数が多いと落ち込むし、少ないと安心する。
別に閲覧できんように閉めてもいいけど、数人の誰かには読まれたいという気持ちもあるから閉めるのも違うしなぁ。難しい。
人には色んな背景の人がいて、色んな考えの人がいて、それだから人間だけど、迷惑かけてないのに人と違うってだけで寛容的になれない人も勿論いて、その中でも攻撃力高めな人はいる。
まあ保育園時代の私もそうだったけどね。因果応報ってやつか。
色々話ずれたけど、とりあえずはしばらくはコメント欄はなしのままで続投です。