なんてことない日常の記録

駆け出し医。できることを1個ずつ少しずつ増やし中。気ままに書くブログ。趣味話多め。記事長め推敲ほぼ無し。特に誰も得しないブログ。

聴覚情報処理障害

晶です。

 

今回の記事は過去に多分いくつか書いてることもあります。(書いたことを忘れてる)

 

最近、聴覚情報処理障害ってのを知りました。

 

それでわかった。

これだ!!と。

まぁ診断受けたわけじゃないんですが。

 

 

割と以前から、音は聞こえるし難聴もないのに、言ってることがわからないみたいなことな多くて、それで耳鼻科を受診したこともあったんですよね。結果耳には異常なし!

 

ガヤガヤしたところだと余計に聞きづらいし。

言葉だけで色々言われるとすぐ忘れるし、少しややこしいことだと数秒前のことも忘れてしまう。

 

とにかく耳からの情報処理が本当大変。

ADHDだから?と思ったけど、皆が皆そうというわけではなさそうとも思って。

 

倍速でみるのも、超集中しないと聞けない。凄い疲れる。当たり前だけど板書も書いてたら聞こえないし。

 

これを凄く実感したのは、ポリクリの時で、数人で実習してて、何か先生話してるけど全然聞き取れない。

でも私と同じ位置にいる他のメンバーは理解できてる。

 

そのあたりから、あれ?聞けてないの私だけ?と。

 

何で聞いてなかったの?って後からメンバーに言われるけど、音は聞こえてるんだよ、認識できないんだ、なんて当時は言わなかった。というか、当時はそういう感じだと自分の中で理解してなかった。

 

思えば英語のリスニングもボロボロで、一単語聞こえるけど次の一単語入ってくると抜ける。最終的には何も残らないトコロテン状態。

なんでこんなにいっぱいリスニング聞いてるのにできないの?と思ったけど、そもそも音の認識能力が低いんだから、他言語の音は特に苦手なはず。

 

仕事場でも、先生の声は入ってくるんだけど、ナースコールとか心電図モニターの音とか色々なると、一瞬で先生の声が認識できなくなる。あれは気が散る感じに似てるんだけどそのあと一生懸命聞こうとしてもなかなか入ってこない。

 

先生の外来同席してても聞いてたはずなのに気付くと聞いてないとかあって、慌てる。今聞いてたよな?と思うけど内容が一切入ってないとか。脳が動いてない感じ。

電話中に話しかけられるのも無理だし。どっちも言葉の認識ができなくなる。だから電話中は反対の耳を塞いでる。それは小学生の時からそうだった。

 

 

あと、聞き慣れない言葉も聞きづらい。横文字とか今なんて言った?と何回も聞き返す…。申し訳ない。。カタカナで薬の名前とか言われても聞き覚えがないやつは、だいたい間違って聞き取ってるから、まずはグーグルに聞き取れた文字を入れて似た薬の名前を検索したり。薬だけじゃなくて他のもそうだけど。

 

 

ずーっとそれが当たり前なのかと思って生きてきて、ただ凄く不便なのも感じてたから、聴覚情報処理障害っていうやつを知って調べるとこれやん!!となった。

 

 

 

なんかスッキリした。それで何か変わるわけでもないのだけど。

 

それを理由に何かをしないわけでもないし。これが当たり前だから大切なことは聞き返すしかないと知ってるので嫌がられるけどある程度認識できる程度には聞き返して、あとはグーグルに聞くw

 

こう、音が聞こえるけど理解できないウェルニッケ野の障害を思い出した。インプットがウェルニッケ、アウトプットがブローカだよな?

音は聞こえてるのに理解ができないって、こういう感じなのかな?と思うこともある。ちなみ電話とかは左じゃないとだめ。右耳も理解できるけど、なんか理解力が鈍い感覚がして全集中するから凄い大変。ウェルニッケ野左だからとか関係あるんか??

 

 

そして追加で知ったのは、幼い頃に暴言とか虐待とか受けると脳に異常が出るというのは精神科レポート書いたときに知ったけど、虐待、ネグレクト、親同士の激しい喧嘩目撃など、子どもにとってはよくない状況で脳の一部が萎縮してるらしい。暴言とかは聴覚野の一部が萎縮してたとか。体罰がひどいと前頭野が萎縮するらしい。

 

まあ私は親から暴言受けたり体罰受けるのは時々だったけど、それなりに怖い家庭だったから何かしらあっても仕方ないのかなぁと思った。

 

音のことで思い出したのは、私以外の家族全員が旅行に行ってるときに、夜更かししてゲームしてて、少しだけ罪悪感があったことがある。一日中ゲームしてて、あるとき「晶-!!!」と遠くから母親の怒鳴る声が聞こえた気がして(実際よく怒鳴る声が聞こえてたから)、一瞬でゲームをやめて、音量をミニマムにして、耳に全集中(私の学生時代あるある)。そして、あ、親いないじゃーんと気付く。

 

まあもし実際いた場合は、そのまま呼ばれた声の元に猛ダッシュしながら、私何かやった!?と心の中で必死に反復。何かやってたらとにかく何度も謝ろう、と。

 

他にも学校行くのに寝ててなかなか私が起きれなかったんだけど、一度だけいきなり水をぶっかけられて起こされたことがある。親は笑ってた。一度やってみたかったんだよねーと。怖い。

 

で、気付いたら今はちょっとした物音で起きる体質に。当時は階段登ってくる音で起きた。

 

まあそれくらい家の中では割と耳の神経尖らせて生活してたんですよね。怖いから。

そういう意味では多分聞きたくない音が多かったんだろうなと思う。

一人暮らしは自分が求めた音だけなので本当に気が楽。

 

 

 

ここからは推察。

 

基本的に発達障害って先天性と言われてるけど、環境によっては後天性もあるのでは?と。

 

勿論先天性の人も多いと思うけど、実は環境によっては発達障害グレーゾーンの人達が、生きやすくなるかどうかが家庭環境や生活環境にあるのでは?と。

 

もし仮に虐待がない家に生まれてたら、私は自己主張することをこんなに恐れないし、もしかしたら聞き取りにくさもここまでひどくなかったかもしれない。

 

私は超ざっくりいうと聴覚情報が点数低くて、視覚情報の点数が高くてぎりADHD診断だった。

 

つまり…??

 

と。

 

人は必ず得意不得意は存在する。当たり前。だからもしかしたら私は…実は普通だったのかもしれない。

生きていくために必要なことがあって、私にとっては多分それが音。怒られないために、叩かれないために、音は聞いてないといけなかった。ただ、内容はあまり認識したくなかったんだろうとも思う。

 

視覚情報処理は早いけど、それも多分一つは人の顔色や雰囲気や動作や状況をかなり見てたからかなぁとも。それを素早く認識してフォローに回らないと後々大変だったから。

 

まあだからこそ、過剰に人の顔色を伺うようになったのだとも思うけど。

 

私は「自分がこんな人間だ」と思う部分も沢山あって、親の教育が良かったとも言い切れないところは沢山あって…だからこそ私は子どもがしんどすぎないように、でも子ども自身の幸せのために何でも甘やかすわけではなく、どうやって育てたらいいんだろうな、と、結婚前から色々色々考えてる。

 

まあ実際子どもができたら意味のないことなのかもしれないけど。

 

母親も祖母からの反面教師でこんな母親にはならないと決めて私を育てた。

 

じゃあ多分私の子どもも何かしら二の舞に…??

 

そう思うと私は子どもを産むべきじゃないのかもしれないとか、悩んだ時期もある。

 

悩んでもしゃーないか、と今は思えるけど、きっと色んな問題には直面するんだろうなと思う。

 

子育てに正解はないけど、私は、もう少し生きやすい人生を子どもに送らせてあげたいなとも思う。

 

まあ発達障害グレーゾーンで、人より凄く時間かかってるけどなんとか医師になれたし、大変だけどやりがいは感じてるからそれは本当に感謝してる。ちゃんと家族好きだし。たまに嫌いがピークになると死んでも悲しまないモードにたまになってたけど、今は大丈夫w

 

ただやっぱり、もう少し生きやすい人生があったらよかったなぁとは時々思うw

 

 

(ちょっと話変わるけど、こないだ「私はあなたの子どもの面倒も見ないし、犬を飼っても預けてこないでね(つまり面倒を押し付けるなという意味)」と久々に母親節で言われたwそこまで言うなら自分でなんとかするわいという気持ちになる。)